2012年5月1日火曜日

初めての結婚記念デート(32年越し)


昨日、母から1通の写メが届いた。
そもそも、おかんが写メ出来る事自体驚いたのだが、なによりメールの内容が嬉しかった。

「今、コンツェルトに乗っています。
すごい分厚いステーキを食べさせて頂きました。伊勢海老も頂きました。
ありがとう♪ステキな結婚記念日です。」



結婚して32年。初めて2人だけで結婚記念日にデートをした父と母。
教員の父は毎年4/29(祝)に授業参観があり、結婚記念日にデートする事が出来なかった。
結婚してすぐ僕が産まれ、ぞろぞろぞろっと4人産まれたので2人っきりの時間は無かった。
そんな2人が32年目にしてデートに至ったのは、ゴホテラブラザーズのお陰。



2011年11月28日。
去年の誕生日、僕はゴホテラブラザーズと一緒に実家へ帰省した。
品川から新神戸行きの最終新幹線に飛び乗ったはずが、上りで東京に逆戻りしたり、
クマが急遽仕事で来れなくなったり。
そんなすったもんだあった後、晩御飯を家族、ゴホテラブラザーズで共にした時の事。

突然、両親へブラザー達から「Sow Experience」の体験ギフト券をプレゼントしてもらった。

「2人でクルージングとかして楽しんじゃって下さい。」
「え~そんなん良いんですか?今寒いしねえ。パパ、暖かくなったら行こっか。」

母は照れながら、でも、とても嬉しそうな顔をしてそう言っていた。



あれから5か月。
そのチケットがキッカケとなり、
「第1回(32年目にして)2人だけの結婚記念日デート」が開催された。

いつもジャージで出歩いてたのに、やたらめったら格好付けていた父。
「大丈夫か?」と心配したくなる位、女の顔になっていた母。
「どないした?甘えん坊か?」と言いたくなるほど優顔の父。
祖母と体型が酷似してきた母。
写真から、2人共ほんまに嬉しかったんやなあと感じられた。


ゴホテラブラザーズ、ありがとう。
両親の笑顔を見て、息子が出来てなかった事、皆に教えてもらいました。


来年は僕から両親に何かします。


両親からも強く強く感謝の気持ちを伝えるようにと念を押されたので、
この場を借りてお礼申し上げます。


あ(りがとうご)ざ(いま)す!!


2012年2月29日水曜日

日本では見えなかったモノ


何故か不思議がられるが、生まれて初めて旅をした。
初めての一人旅、初めての外国。出発前はそりゃあ、正直ビビッてた。
100人に100人が答えるであろう、「なんとかなるもんやで。」が全くもって理解出来なかった。

2/15-2/28の期間、日本-シンガポールの航空券以外は全て自分で考えた。
国、街、目的、宿、航空券などなど自分なりに決め、結果的に60%位決まった状態で出発した。
結果的に60%ってのが良かったと思う。行きあたりばったりが出来たので。

シンガポール、マレーシア(JB・KL・KK(Mamutik))-ブルネイ-インドネシア(Lombok)

今回一番の目的は「体験」する事。
その意味ではめっちゃめちゃ良い機会やった。
インターネットを遮断し、同郷との繋がりをぶった斬った環境で一人生活した事で、
想定していない現地での出会いから旅が深まったり、新しい道筋を見出す事が出来た。

飛行機、バス、ボートでイミグレーションを通過し、古びたマーケットで一食300円程度の飯を食い、
ホテル、安宿、ユースホステルで宿泊した。宿泊施設の無い島でキャンプもした。
ローカルのお家に招待してもらい、ご家族、ご近所さん共々飯を食い、互いの文化について語った。
30℃超の日差しが照り続け、雨季の為スコールが毎日の様に降り、停電もした。
猿に追い掛けられた事もあった。トカゲにも追い掛けられた。本気でワニかと思った。
サッカーを通じてローカルとめちゃめちゃ仲良くなった。
お邪魔した家で結婚を真剣に進められた。っていうか紹介された。

この2週間で起きた事をつらつらと書き並べてみると本当に貴重な経験が出来たと感じる。
各々の国で感じた事。

■シンガポール
多様な民族で形成され、それぞれに自国の文化を作り上げたシンガポール。
人々は活気に溢れていて、国自体がテーマパークのようだった。
ただ、気になったのはその多様性。
シンガポールの観光地は?「リトルインディア?」「アラブストリート?」「チャイナタウン?」
頑固な性格の自分なので、どうしても多様な性質に対して「嘘」じゃないかと感じてしまうが、
未来の新しいカタチなのかもしれない。
と、同時に「日本の場合は?」と振り返る機会にもなった。

ベイエリアの夜の景色。

■マレーシア
マレーシアで学んだ事。それは「挨拶」がコミュニケーションの出発点になるという事。
彼らは不器用だと思う。最初は怪しさ満開の顔してこっちを見てる。そうなんかもしれへんが・・・
でも、「Hello.」と声を掛けるだけで彼らは全力で笑ってくれる。安心したんやろうね。
マレーシアが本格的な一人旅の始まりだったので、とにかくローカルに助けてもらった。
助けてもらう為には話かけるしかない。だから笑顔で挨拶をした。そしたら返してくれた。
当たり前の事やけど一人旅だからこそそれが出来たと思う。
彼らは優しさを安売りするような事は無いが、頼った時は全力で答えてくれた。
マレーシアで感じた人の温かさは、自分を穏やかにしてくれたと思う。
「人に優しく」 The Blue Heartsも言ってたっけかな。

Imbiマーケットにて相席した親父達。Ice Cofeeが旨いと教えてくれ、更におごってくれた。

Mamutik島のローカル達。日が暮れるまでサッカーした。そういう遊び方、いつぶりだろう?

■ブルネイ
僕は、この国でとても後悔した。自分が情けないと思った。
それは、タクシーでの出来事。会話をはずませたくて何気無く聞いた一言。
「日本の事を知っているか?」元教師であるタクシー運転手はこう答えた。
「知っている。日本は第二次世界大戦で東南アジアの国々へ侵攻した国だ。」
宇宙船地球号だと思ってた。皆どうにかなるって言ってた。僕もそう思ってた。
でも、歴史、文化、言語など背負ってるもんは人により違う。
第二次世界大戦、日本は唯一の被爆国である。最終的には。
その過程には数々の国へ侵攻した加害国である。
日本人と同様に、過去の事実を許せる人、許せない人が現在いるのは当然の事である。
行きあたりばったりは失礼過ぎる。
事前準備を怠った自分が情けなく、そして戒めになった。その晩はけっこう凹んだ。
夜のオールドモスク。中は荘厳な雰囲気で圧倒された。

水上集落で生活しているHajiさん。次回は宿泊させてもらう予定。

■インドネシア
今回、Lombok島というまだ一部観光地化されていない、所謂田舎で生活した。
古き良きモノになりつつある生活を改めて素敵だなあと心底感じた。
そして、旅っていうのは観光ではなく生活により深く、現実的になると感じた。
初日、空港で偶然仲良くなったタクシードライバーのAkromさん。
弟の嫁さんが日本人という事もあり、会話が弾み、彼のお家で昼食を頂いた。
息子のタッガールと一緒にサッカーボールで遊んでいると近所の友達が遊びに来た為、
皆で近くの空き地でサッカーをした。メンバーは9歳から15歳。
ベイリン、ビックリー、ナンダ、アンドレ、ウィスヌーン。
家に戻っても子供達は大はしゃぎ。それをAkromの奥さんが子供達の親同様に叱る。
今、あるのかな?親が自分の友達の名前を覚え、飯食わせたり叱ったりする姿って。
結局Lombokに滞在した3日間とも、Akromの家に遊びに行き、共に過ごした。
帰りは空港まで一緒に行き(ミニバンに11人)、サヨナラの挨拶(Slamat Jalan)。

旅をしてみたい思いと同時に、僕が結婚した後、未来の理想的な画がそこにはあったと思う。
って思いたい。思ってみたい。思わせて下さい。

Akrom家の長女。アオラン

Akrom家の子供達と友達。
(上段)アンドレ、ウィスヌーン、ビックリー、ベイリン
(下段)タッガール、アオラン、ナンダ、タッゴー)
最終日、皆が空港まで送ってくれた。ウルルンすぎた。


今回の旅で、色々感じ、本当はあかんというか良くないとは思うけど、
最終的に旅ってのは、
誰かに頼り、甘える事で、感謝し、優しくなるもんなんだと思う。
それが旅の、とりわけ一人旅の良いところなんやろう。

若い者には旅をさせよ。まさに。仰る通りでございます。

トゥリマカシー。




2週間髭を伸ばし続けたら、頬が埋まってくる事を発見しました。

2011年12月21日水曜日

オチの無い話。

今日、電車で横の親父が気持ち良さげに仲間と話していた。
「五十歳にもなると人間はっきり分かれてくる。上を目指したい奴とそうでない奴。」

嬉しかった。
何歳になっても一緒なんやと。いつまでもそう思うんやと。

所謂「IT業界」という場所に身を置いたので、四十代以上の先輩が周りにいない生活を続けている。
だから、10年後、20年後ってどういう世界なのかが良くも悪くも全くもって画が沸かない。

今、29歳にして今の自分がどピンチだとようやく考えるようになった。

話は変わり、僕の周りには今がめちゃめちゃ充実してそうな人達がいる。
起業家というか、個でイノベーションを起こそうと奮起している人達。
同年代の彼らを見てとても羨ましいと思うと共に、内心不思議に思っている。

「今やっている事は素晴らしいと思うが、いつまで続くんだろうか?
 10年後、20年後、体力が衰えた時に同じ事が出来るのだろうか?」
アイデアを出し、必要なスキームを整え、営業し、周囲にファンを絶やさずに進む。。。

今は彼らを憧れ、応援しているヒト達が家庭に入りこんだらどうなるんだろうか?
個の群れが若い力をはねのけて、自分の生活を担保するだけのお金を
稼ぎ続けるのはいつまでなんだろうか?

僕は、力任せに過ごしている今の生活からそんな事を考える。
体力の衰えが僕に先を見せていて、
会社っていう個からすれば考えられない程守ってくれる安心棺桶くんに、
喜んで入りに行こうとさせてしてんじゃないかとか。身の丈もう分かれよ。とか。


って事をさっきチャリこぎながら感じたんで書いてみたんやが、
「あ~でもない、こ~でもない。」と、消去法の人生しか考えてない僕より、
「あ~したい、こ~したい。」と日々迷走している奴らの方が格好良いに決まっている。

なんか自分に腹が立ってきた。


なので、この話にオチは無い。


僕はヒトを愛せるおっさんになりたいです。


2011年9月2日金曜日

コトバの真実味

一昨日、出社途中に愛車のタイヤがバーストした。両輪。けっこうな音を立てて・・・。
皇居前だったので、チャリを止める事も出来ず・・・。
警備員に聞いては流され、聞いては流され。
でも、3人目のおやじが「ちょっと離れてればイイよ。」って。おやじ、ありがたう。

その日、タクシーに乗せて帰ろうとしたが、生憎の雨。
「濡れた自転車を後部座席に乗せてもいいですか?」の質問に全員No。
そりゃあ仕方無いわな。

翌日、なんとか雨も止み、タクシーで同じ質問をする。
「自転車載せてもいいですか?」





僕は、その日、とても穏やかな気持ちで家に帰る事が出来た。
その運転手さんに関する話。

年齢は、60~70歳くらい。
イイ感じにハゲた頭に真っ白な髭をほんの少しだけ蓄えていた。
物腰は非常に柔らかく、僕まで話し方を併せてしまうような丁寧な口調。
運転は危険を事前に察知して、充分な車間距離を取る。割り込みが当たり前の如く。

彼との会話は自転車の話から、娘さんの話、そして、仕事の話へ。

「私はね、大方この仕事が楽しいと思っています。
 時折、怖い思いをする時もありますが、それを加味しても楽しいですよ。
 何故なら、この仕事は人と人とのめぐりあいだからです。」

「私はこの仕事をしている以上、穏やかである必要があります。
 何故なら、お客様にとって私が鏡になるからです。
 お客様は、様々な感情を持ってタクシーに乗られる。
 どのようなお客様にも、気持ち良く乗って頂きたい。私の心がそれを邪魔してはいけません。」

僕は聞いた。
「お家の中でも運転手さんは穏やかであろうと心掛けていらっしゃるのですか?」

「私は思っています。せっかく結婚をしたのだから仲良くしたい。
 そう思ってからは一度も喧嘩をしていませんよ。」

「勿論、心がざわつく時はあります。大切なのは、相手より一つ上から見る事です。
 だから、まず相手の言う事を全て聞き入れなさい。
 ああ、あなたはそういう風に考えるのですね。と、受け止めて理解しようとしなさい。
 必死に受け止めて受け止めて、それでも納得出来ない時、その時は・・・。
 その時は、相手は既に忘れていますよw。」

「ただ、これは理屈の話です。
 行動として、私は無意識の内に家内を褒めています。
 こんなおいしいご飯を食べられるなんて、僕はなんて幸せなんだ。いつもありがとう。
 そんな事を無意識の内に私は家内に言っています。
 家内は「また始まったか。」と言って呆れていますけどw。」


相手を受入れる。よく聞く話ではあるが、実践する事は非常に難しい。
特に、身近になればなるほど、些細な事すら過敏に反応してしまう。

だからこそ、経験から感じ、学び、継続し、慣習化する。いつかそれを人間性とする。
ヒトを形成する奥底にどっしりと構えた穏やかさを横で見ながら僕は笑い続けました。
素敵でした。素敵という言葉がパズルのラストピースのようにぴったりとはまるヒトでした。


最後に、家の前で車を降りようとする僕に運転手さんはこう言いました。

「また次回、めぐり逢える事を楽しみにしております。お休みなさい。」

洒落乙か!!!w


家に到着したのは午前2時半。気持ちよく即寝できた。

運転手さん、ありがとう。

2011年7月31日日曜日

寺内康人

7/29(金)18時、一人の男が日本を離れました。

目的地はシンガポール。会社の後輩であったテラは己の成長の為、
今しか出来ないと信じ、シンガポールに身を置く決意をしました。

僕は、ゲイではありません。
でも、テラの事が好きです。こいつはめちゃめちゃいい男だと自信を持ってオススメします。

acciaio ALT Football Tournament、OPTサッカー、Sense Of Wonder、バスケ、フットサル、花見、BBQ、二人であほほど呑んだ居酒屋。

たくさんの時間を共にした結果、こいつはいい男だと思えます。


こいつは、探究心と好奇心に充ち溢れた男です。
今回、シンガポールに向かった理由は「タイミング」でした。

個の成長におけるキャリアアップのテーマは「IT」「金融」「世界」。
それらの中で今しか出来ない事は「世界」であると考え、
ロクに英語も話せないのに、その道を選びました。

テラは、決して輪っかのど真ん中に立つ人間ではありません。
でも、テラの輪っかにたくさんの人間が集まります。今思えば、僕もその内の一人だと思います。
彼の物怖じしない事、人に優しい事、よく笑う事、酒が好きな事、マニアックである事、
そんな所に他人は魅力を感じて集まっていくんだと思います。

8/1、いよいよテラはシンガポールでの仕事が始まります。
新天地での活躍をそれなりに応援しています。
頑張れよ。

そして、7/27、二人で呑んでいた時に話してくれた二つの約束。
1.成長して帰って来ます。
2.二年半後、○○します。

二つ目はくそ笑えるので書きませんが、楽しみにしています。

僕からも約束を二つ。
1.テラのいない時、お母さんに会いに茨城県へ行きます。
2.嫁を作ってチャイチャイした姿をお見せします。


テラが仕事を辞める前に残してくれたmail。--------------------------------------

廣瀬さん

お疲れ様です。寺内です。

そう、題名の通りお礼のメールです。
口ではうまく説明できなそうな事を文字に起こします。

僕がオプトに入って本当に良かったと思える事が実は2つあります
その中の1つが廣瀬さんと人生の中で関われた事です。
まじです。僕の中では相当でかい事です。

直接関わらせて頂いたのは1年目の終りのチーム編成からだったと思いますが
約1年半以上本当にお世話になりました。
外国人サッカーやチャリでの数々の遠征、ゴホテラの集いなど多くの時間を過ご
させて頂きました。そこでの出会いから僕はいろいろな刺激を頂いていましたし、
これからもその出会いは僕の人生の中でとても貴重なものになっていくと思います。

廣瀬さんはコミュニケーションの鬼だと思います。
チャリ道途中の花屋さんと仲良くなったり、Sense of wonderの接客では人を楽しませる
トークをしたりと、廣瀬さんと時間を共にしているとコミュニケーションという事についてすごく
気づかされたり考えたりさせて頂きました。そこから自分の人に対する姿勢を変えたりしていました。

向こうでは相当訳の分からない生活が待っていると思います。
それを生き抜き成長した姿を、次廣瀬さんにお会いする時までにお見せできればと思っております

引き続き人生の中でお付き合い頂けたらと思っております。

ほんとうに、ありがとうございました。

寺内康人
----------------------------------------------------------------------------

テラ、僕からも。
これまでありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。


2011年7月13日水曜日

ヤイよヤイよも・・・


「嫌味を言う人間は、実は、相手の事をすごく理解している。」

今日、悲しいかなそう思わざるを得ない事があった。

仕事で絡む、いつも嫌味を言うおっさん。
無愛想で、他人の足元ばっか見て、それでいて自分の話は大好き。みたいな。
そいつが、今日ええ事を言うた。ユーザー視点に立ったええ事を言うた。

「え?自分、他人の気持ち分かるの?っていうかめっちゃええ事言うてますやんか。」

「自分がこう言えば相手はどう思うか?」を、
分かっているからこそ嫌味が言えるのではないだろうか。

リアクションで生きてきた僕には辿り着けない答えだったので、ちょっと尊敬してしまった。
前々回のblogで書いた「相手を知ろうとする事。」これのメリットがこんなところにもついてきそう。

引き続き、人にガシガシ行かなあかんなあ。

Socialに乗っかり、メール、チャットが本当に便利やと思う。

でも、顔を会わせて、お酒を呑んで、あ~だこ~だと話をする。
そこに、他人の事を理解しようとする、
強いてはいつの日か愛情たっぷりの嫌味が言える人間になるエキスがボトボトと含まれていると思う。

特に日本酒辺りに。



とはいえ・・・
あのおっさんはFuck野郎だ。




2011年7月7日木曜日

兄貴へ

高部さん

3年間、ほんまにお世話になりました。

畑違いの自分が入社出来た事、
毎日大声ではしゃげるくらい居心地の良い環境におれる事、
心がへし折れかけた時にもっかい頑張ろうと思えた事、
会社を離れようとした自分に将来ひっくるめて頑張ろうと思わせてくれた事、
全て高部さんのお陰です。

あなたはいつだって笑って話してくれました。
どんだけ窮地に立たされた時でも、前を向かせてくれました。

あなたはいつだって一番の理解者でした。
お前はココが足りんから頑張れって、「ういっす」しか言えない程ド真ん中を指摘してくれました。

あなたはいつだって無茶振り大王でした。
送別会で話した事無い人の前に立たされ、送別会なのに「初めまして。」って言いました。
後ろで肩揺らして笑ってましたよね。

あなたはいつだって平等でした。
今日の壮行会で感じました。それぞれが「高部さんと自分は深い関係にある。」
そう思い、あほほど信頼し、追っかけていました。

あなたはいつだって酒呑みでした。
下北沢でビールを呑みまくり、役職者にも関わらず、売られた喧嘩を買おうとしていました。
自分が止めなければぶん殴ってましたよね?

そして、
あなたはいつだってど真っ直ぐでした。
入社時に話してくれた「俺はいつか地元に何か役立ちたいんだ。」
その思いを貫く為、今回部署から去る事になりました。

皆が口を揃えて「兄貴」と呼ぶあなたに刺激を受けて、
良い様にモチベーションコントロールされて(転がされて?)、今この部署があります。

「日本一になる。場所は離れるけど皆をサポートしたい。魂はココに置いていく。」
KINGじゃないっすか。

KING高部。

部長、お疲れ様でした。

これからも世話になります。

ひとまず。




ありがとうございました。