2012年2月29日水曜日

日本では見えなかったモノ


何故か不思議がられるが、生まれて初めて旅をした。
初めての一人旅、初めての外国。出発前はそりゃあ、正直ビビッてた。
100人に100人が答えるであろう、「なんとかなるもんやで。」が全くもって理解出来なかった。

2/15-2/28の期間、日本-シンガポールの航空券以外は全て自分で考えた。
国、街、目的、宿、航空券などなど自分なりに決め、結果的に60%位決まった状態で出発した。
結果的に60%ってのが良かったと思う。行きあたりばったりが出来たので。

シンガポール、マレーシア(JB・KL・KK(Mamutik))-ブルネイ-インドネシア(Lombok)

今回一番の目的は「体験」する事。
その意味ではめっちゃめちゃ良い機会やった。
インターネットを遮断し、同郷との繋がりをぶった斬った環境で一人生活した事で、
想定していない現地での出会いから旅が深まったり、新しい道筋を見出す事が出来た。

飛行機、バス、ボートでイミグレーションを通過し、古びたマーケットで一食300円程度の飯を食い、
ホテル、安宿、ユースホステルで宿泊した。宿泊施設の無い島でキャンプもした。
ローカルのお家に招待してもらい、ご家族、ご近所さん共々飯を食い、互いの文化について語った。
30℃超の日差しが照り続け、雨季の為スコールが毎日の様に降り、停電もした。
猿に追い掛けられた事もあった。トカゲにも追い掛けられた。本気でワニかと思った。
サッカーを通じてローカルとめちゃめちゃ仲良くなった。
お邪魔した家で結婚を真剣に進められた。っていうか紹介された。

この2週間で起きた事をつらつらと書き並べてみると本当に貴重な経験が出来たと感じる。
各々の国で感じた事。

■シンガポール
多様な民族で形成され、それぞれに自国の文化を作り上げたシンガポール。
人々は活気に溢れていて、国自体がテーマパークのようだった。
ただ、気になったのはその多様性。
シンガポールの観光地は?「リトルインディア?」「アラブストリート?」「チャイナタウン?」
頑固な性格の自分なので、どうしても多様な性質に対して「嘘」じゃないかと感じてしまうが、
未来の新しいカタチなのかもしれない。
と、同時に「日本の場合は?」と振り返る機会にもなった。

ベイエリアの夜の景色。

■マレーシア
マレーシアで学んだ事。それは「挨拶」がコミュニケーションの出発点になるという事。
彼らは不器用だと思う。最初は怪しさ満開の顔してこっちを見てる。そうなんかもしれへんが・・・
でも、「Hello.」と声を掛けるだけで彼らは全力で笑ってくれる。安心したんやろうね。
マレーシアが本格的な一人旅の始まりだったので、とにかくローカルに助けてもらった。
助けてもらう為には話かけるしかない。だから笑顔で挨拶をした。そしたら返してくれた。
当たり前の事やけど一人旅だからこそそれが出来たと思う。
彼らは優しさを安売りするような事は無いが、頼った時は全力で答えてくれた。
マレーシアで感じた人の温かさは、自分を穏やかにしてくれたと思う。
「人に優しく」 The Blue Heartsも言ってたっけかな。

Imbiマーケットにて相席した親父達。Ice Cofeeが旨いと教えてくれ、更におごってくれた。

Mamutik島のローカル達。日が暮れるまでサッカーした。そういう遊び方、いつぶりだろう?

■ブルネイ
僕は、この国でとても後悔した。自分が情けないと思った。
それは、タクシーでの出来事。会話をはずませたくて何気無く聞いた一言。
「日本の事を知っているか?」元教師であるタクシー運転手はこう答えた。
「知っている。日本は第二次世界大戦で東南アジアの国々へ侵攻した国だ。」
宇宙船地球号だと思ってた。皆どうにかなるって言ってた。僕もそう思ってた。
でも、歴史、文化、言語など背負ってるもんは人により違う。
第二次世界大戦、日本は唯一の被爆国である。最終的には。
その過程には数々の国へ侵攻した加害国である。
日本人と同様に、過去の事実を許せる人、許せない人が現在いるのは当然の事である。
行きあたりばったりは失礼過ぎる。
事前準備を怠った自分が情けなく、そして戒めになった。その晩はけっこう凹んだ。
夜のオールドモスク。中は荘厳な雰囲気で圧倒された。

水上集落で生活しているHajiさん。次回は宿泊させてもらう予定。

■インドネシア
今回、Lombok島というまだ一部観光地化されていない、所謂田舎で生活した。
古き良きモノになりつつある生活を改めて素敵だなあと心底感じた。
そして、旅っていうのは観光ではなく生活により深く、現実的になると感じた。
初日、空港で偶然仲良くなったタクシードライバーのAkromさん。
弟の嫁さんが日本人という事もあり、会話が弾み、彼のお家で昼食を頂いた。
息子のタッガールと一緒にサッカーボールで遊んでいると近所の友達が遊びに来た為、
皆で近くの空き地でサッカーをした。メンバーは9歳から15歳。
ベイリン、ビックリー、ナンダ、アンドレ、ウィスヌーン。
家に戻っても子供達は大はしゃぎ。それをAkromの奥さんが子供達の親同様に叱る。
今、あるのかな?親が自分の友達の名前を覚え、飯食わせたり叱ったりする姿って。
結局Lombokに滞在した3日間とも、Akromの家に遊びに行き、共に過ごした。
帰りは空港まで一緒に行き(ミニバンに11人)、サヨナラの挨拶(Slamat Jalan)。

旅をしてみたい思いと同時に、僕が結婚した後、未来の理想的な画がそこにはあったと思う。
って思いたい。思ってみたい。思わせて下さい。

Akrom家の長女。アオラン

Akrom家の子供達と友達。
(上段)アンドレ、ウィスヌーン、ビックリー、ベイリン
(下段)タッガール、アオラン、ナンダ、タッゴー)
最終日、皆が空港まで送ってくれた。ウルルンすぎた。


今回の旅で、色々感じ、本当はあかんというか良くないとは思うけど、
最終的に旅ってのは、
誰かに頼り、甘える事で、感謝し、優しくなるもんなんだと思う。
それが旅の、とりわけ一人旅の良いところなんやろう。

若い者には旅をさせよ。まさに。仰る通りでございます。

トゥリマカシー。




2週間髭を伸ばし続けたら、頬が埋まってくる事を発見しました。

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