2011年12月21日水曜日

オチの無い話。

今日、電車で横の親父が気持ち良さげに仲間と話していた。
「五十歳にもなると人間はっきり分かれてくる。上を目指したい奴とそうでない奴。」

嬉しかった。
何歳になっても一緒なんやと。いつまでもそう思うんやと。

所謂「IT業界」という場所に身を置いたので、四十代以上の先輩が周りにいない生活を続けている。
だから、10年後、20年後ってどういう世界なのかが良くも悪くも全くもって画が沸かない。

今、29歳にして今の自分がどピンチだとようやく考えるようになった。

話は変わり、僕の周りには今がめちゃめちゃ充実してそうな人達がいる。
起業家というか、個でイノベーションを起こそうと奮起している人達。
同年代の彼らを見てとても羨ましいと思うと共に、内心不思議に思っている。

「今やっている事は素晴らしいと思うが、いつまで続くんだろうか?
 10年後、20年後、体力が衰えた時に同じ事が出来るのだろうか?」
アイデアを出し、必要なスキームを整え、営業し、周囲にファンを絶やさずに進む。。。

今は彼らを憧れ、応援しているヒト達が家庭に入りこんだらどうなるんだろうか?
個の群れが若い力をはねのけて、自分の生活を担保するだけのお金を
稼ぎ続けるのはいつまでなんだろうか?

僕は、力任せに過ごしている今の生活からそんな事を考える。
体力の衰えが僕に先を見せていて、
会社っていう個からすれば考えられない程守ってくれる安心棺桶くんに、
喜んで入りに行こうとさせてしてんじゃないかとか。身の丈もう分かれよ。とか。


って事をさっきチャリこぎながら感じたんで書いてみたんやが、
「あ~でもない、こ~でもない。」と、消去法の人生しか考えてない僕より、
「あ~したい、こ~したい。」と日々迷走している奴らの方が格好良いに決まっている。

なんか自分に腹が立ってきた。


なので、この話にオチは無い。


僕はヒトを愛せるおっさんになりたいです。


2011年9月2日金曜日

コトバの真実味

一昨日、出社途中に愛車のタイヤがバーストした。両輪。けっこうな音を立てて・・・。
皇居前だったので、チャリを止める事も出来ず・・・。
警備員に聞いては流され、聞いては流され。
でも、3人目のおやじが「ちょっと離れてればイイよ。」って。おやじ、ありがたう。

その日、タクシーに乗せて帰ろうとしたが、生憎の雨。
「濡れた自転車を後部座席に乗せてもいいですか?」の質問に全員No。
そりゃあ仕方無いわな。

翌日、なんとか雨も止み、タクシーで同じ質問をする。
「自転車載せてもいいですか?」





僕は、その日、とても穏やかな気持ちで家に帰る事が出来た。
その運転手さんに関する話。

年齢は、60~70歳くらい。
イイ感じにハゲた頭に真っ白な髭をほんの少しだけ蓄えていた。
物腰は非常に柔らかく、僕まで話し方を併せてしまうような丁寧な口調。
運転は危険を事前に察知して、充分な車間距離を取る。割り込みが当たり前の如く。

彼との会話は自転車の話から、娘さんの話、そして、仕事の話へ。

「私はね、大方この仕事が楽しいと思っています。
 時折、怖い思いをする時もありますが、それを加味しても楽しいですよ。
 何故なら、この仕事は人と人とのめぐりあいだからです。」

「私はこの仕事をしている以上、穏やかである必要があります。
 何故なら、お客様にとって私が鏡になるからです。
 お客様は、様々な感情を持ってタクシーに乗られる。
 どのようなお客様にも、気持ち良く乗って頂きたい。私の心がそれを邪魔してはいけません。」

僕は聞いた。
「お家の中でも運転手さんは穏やかであろうと心掛けていらっしゃるのですか?」

「私は思っています。せっかく結婚をしたのだから仲良くしたい。
 そう思ってからは一度も喧嘩をしていませんよ。」

「勿論、心がざわつく時はあります。大切なのは、相手より一つ上から見る事です。
 だから、まず相手の言う事を全て聞き入れなさい。
 ああ、あなたはそういう風に考えるのですね。と、受け止めて理解しようとしなさい。
 必死に受け止めて受け止めて、それでも納得出来ない時、その時は・・・。
 その時は、相手は既に忘れていますよw。」

「ただ、これは理屈の話です。
 行動として、私は無意識の内に家内を褒めています。
 こんなおいしいご飯を食べられるなんて、僕はなんて幸せなんだ。いつもありがとう。
 そんな事を無意識の内に私は家内に言っています。
 家内は「また始まったか。」と言って呆れていますけどw。」


相手を受入れる。よく聞く話ではあるが、実践する事は非常に難しい。
特に、身近になればなるほど、些細な事すら過敏に反応してしまう。

だからこそ、経験から感じ、学び、継続し、慣習化する。いつかそれを人間性とする。
ヒトを形成する奥底にどっしりと構えた穏やかさを横で見ながら僕は笑い続けました。
素敵でした。素敵という言葉がパズルのラストピースのようにぴったりとはまるヒトでした。


最後に、家の前で車を降りようとする僕に運転手さんはこう言いました。

「また次回、めぐり逢える事を楽しみにしております。お休みなさい。」

洒落乙か!!!w


家に到着したのは午前2時半。気持ちよく即寝できた。

運転手さん、ありがとう。

2011年7月31日日曜日

寺内康人

7/29(金)18時、一人の男が日本を離れました。

目的地はシンガポール。会社の後輩であったテラは己の成長の為、
今しか出来ないと信じ、シンガポールに身を置く決意をしました。

僕は、ゲイではありません。
でも、テラの事が好きです。こいつはめちゃめちゃいい男だと自信を持ってオススメします。

acciaio ALT Football Tournament、OPTサッカー、Sense Of Wonder、バスケ、フットサル、花見、BBQ、二人であほほど呑んだ居酒屋。

たくさんの時間を共にした結果、こいつはいい男だと思えます。


こいつは、探究心と好奇心に充ち溢れた男です。
今回、シンガポールに向かった理由は「タイミング」でした。

個の成長におけるキャリアアップのテーマは「IT」「金融」「世界」。
それらの中で今しか出来ない事は「世界」であると考え、
ロクに英語も話せないのに、その道を選びました。

テラは、決して輪っかのど真ん中に立つ人間ではありません。
でも、テラの輪っかにたくさんの人間が集まります。今思えば、僕もその内の一人だと思います。
彼の物怖じしない事、人に優しい事、よく笑う事、酒が好きな事、マニアックである事、
そんな所に他人は魅力を感じて集まっていくんだと思います。

8/1、いよいよテラはシンガポールでの仕事が始まります。
新天地での活躍をそれなりに応援しています。
頑張れよ。

そして、7/27、二人で呑んでいた時に話してくれた二つの約束。
1.成長して帰って来ます。
2.二年半後、○○します。

二つ目はくそ笑えるので書きませんが、楽しみにしています。

僕からも約束を二つ。
1.テラのいない時、お母さんに会いに茨城県へ行きます。
2.嫁を作ってチャイチャイした姿をお見せします。


テラが仕事を辞める前に残してくれたmail。--------------------------------------

廣瀬さん

お疲れ様です。寺内です。

そう、題名の通りお礼のメールです。
口ではうまく説明できなそうな事を文字に起こします。

僕がオプトに入って本当に良かったと思える事が実は2つあります
その中の1つが廣瀬さんと人生の中で関われた事です。
まじです。僕の中では相当でかい事です。

直接関わらせて頂いたのは1年目の終りのチーム編成からだったと思いますが
約1年半以上本当にお世話になりました。
外国人サッカーやチャリでの数々の遠征、ゴホテラの集いなど多くの時間を過ご
させて頂きました。そこでの出会いから僕はいろいろな刺激を頂いていましたし、
これからもその出会いは僕の人生の中でとても貴重なものになっていくと思います。

廣瀬さんはコミュニケーションの鬼だと思います。
チャリ道途中の花屋さんと仲良くなったり、Sense of wonderの接客では人を楽しませる
トークをしたりと、廣瀬さんと時間を共にしているとコミュニケーションという事についてすごく
気づかされたり考えたりさせて頂きました。そこから自分の人に対する姿勢を変えたりしていました。

向こうでは相当訳の分からない生活が待っていると思います。
それを生き抜き成長した姿を、次廣瀬さんにお会いする時までにお見せできればと思っております

引き続き人生の中でお付き合い頂けたらと思っております。

ほんとうに、ありがとうございました。

寺内康人
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テラ、僕からも。
これまでありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。


2011年7月13日水曜日

ヤイよヤイよも・・・


「嫌味を言う人間は、実は、相手の事をすごく理解している。」

今日、悲しいかなそう思わざるを得ない事があった。

仕事で絡む、いつも嫌味を言うおっさん。
無愛想で、他人の足元ばっか見て、それでいて自分の話は大好き。みたいな。
そいつが、今日ええ事を言うた。ユーザー視点に立ったええ事を言うた。

「え?自分、他人の気持ち分かるの?っていうかめっちゃええ事言うてますやんか。」

「自分がこう言えば相手はどう思うか?」を、
分かっているからこそ嫌味が言えるのではないだろうか。

リアクションで生きてきた僕には辿り着けない答えだったので、ちょっと尊敬してしまった。
前々回のblogで書いた「相手を知ろうとする事。」これのメリットがこんなところにもついてきそう。

引き続き、人にガシガシ行かなあかんなあ。

Socialに乗っかり、メール、チャットが本当に便利やと思う。

でも、顔を会わせて、お酒を呑んで、あ~だこ~だと話をする。
そこに、他人の事を理解しようとする、
強いてはいつの日か愛情たっぷりの嫌味が言える人間になるエキスがボトボトと含まれていると思う。

特に日本酒辺りに。



とはいえ・・・
あのおっさんはFuck野郎だ。




2011年7月7日木曜日

兄貴へ

高部さん

3年間、ほんまにお世話になりました。

畑違いの自分が入社出来た事、
毎日大声ではしゃげるくらい居心地の良い環境におれる事、
心がへし折れかけた時にもっかい頑張ろうと思えた事、
会社を離れようとした自分に将来ひっくるめて頑張ろうと思わせてくれた事、
全て高部さんのお陰です。

あなたはいつだって笑って話してくれました。
どんだけ窮地に立たされた時でも、前を向かせてくれました。

あなたはいつだって一番の理解者でした。
お前はココが足りんから頑張れって、「ういっす」しか言えない程ド真ん中を指摘してくれました。

あなたはいつだって無茶振り大王でした。
送別会で話した事無い人の前に立たされ、送別会なのに「初めまして。」って言いました。
後ろで肩揺らして笑ってましたよね。

あなたはいつだって平等でした。
今日の壮行会で感じました。それぞれが「高部さんと自分は深い関係にある。」
そう思い、あほほど信頼し、追っかけていました。

あなたはいつだって酒呑みでした。
下北沢でビールを呑みまくり、役職者にも関わらず、売られた喧嘩を買おうとしていました。
自分が止めなければぶん殴ってましたよね?

そして、
あなたはいつだってど真っ直ぐでした。
入社時に話してくれた「俺はいつか地元に何か役立ちたいんだ。」
その思いを貫く為、今回部署から去る事になりました。

皆が口を揃えて「兄貴」と呼ぶあなたに刺激を受けて、
良い様にモチベーションコントロールされて(転がされて?)、今この部署があります。

「日本一になる。場所は離れるけど皆をサポートしたい。魂はココに置いていく。」
KINGじゃないっすか。

KING高部。

部長、お疲れ様でした。

これからも世話になります。

ひとまず。




ありがとうございました。

2011年6月28日火曜日

あざ~~っす。



ええ、所詮2部ですが。

お金貰ってやってる訳じゃないですし、芝生のキレ~~な競技場でやってるわけでもないですが。

我々、サッカー優勝しました。
小さなリーグの小さなブロックで優勝しました。

一生懸命になるという事は、1分1秒を異常なほど充実させてくれるのです。
目の前にいる奴らに負けたくないと、皆で力を合わせて戦うという事はとても心地が良いのです。
こいつらと一緒やったらお前らになんか負けへんぞ。
根拠は無いですが、虚勢では無い強さを身にまとい、その場に立つ事が出来るのです。

こんな経験があるからこそ、他人の事を考えられるんだろうと思います。

優勝した時、改めて感じました。
「もっと仲良くなればもっと強くなるだろうな~。」
仲良くなると体が勝手サポートしようと動いたり、互いに励まし合ったり。
自分でも思う「イイ奴」になれるのです。

思えば、保育所、小学校、中学校、高校、大学と「卒業」を繰り返し、それなりにめまぐるしく人間関係が変わりました。

ガキの頃、卒業式の度に、皆と離れ離れになる事が嫌で泣きそうになりました。
「ずっと友達でおってほしい」と思ってました。
少し大きくなると、新しい環境が毎度楽しいのと、ちょっと格好付けたいのが相俟って
「死なへんかったらそれでエエやん。」と思うようになりました。
女友達も彼氏が出来ると「ポ~チ♪」ってなっちゃうので、「男女で100%の友情は無いんや」と、
入り込まないというか、上っ面というか、そんな冷めた距離感を保つようになりました。

そうやって、僕は相手のココロに入り込む勇気を忘れていったんだと思います。

誰かに相談されても決まったように僕は言いました。
「相談するって事は、お前はそうしたいって事やろ?じゃあ頑張れよ。」

いやあ、スマートですね。格好良いですね。


ペラッペラですけど・・・


詰まるところ、僕は相手にとって当たり障りの無い人間になってると思います。
良くも無く、悪くも無い、空気みたいな存在になっているのです。Air Hirose です。


これじゃ、いかんじゃろ。


もう少しだけ、めんどくさい人間になろうと思います。


「あいつ、めんどくさいけど、俺らの事分かってくれてるよな。」的な。

ルーキーズの川藤監督みたいな。GTOの鬼塚先生みたいな。
教師びんびん物語のトシちゃんみたいな。


そうする事で、もっともっと話しやすくて、良い関係が築ける。はず。
そうする事で、もっと強いチームになれる。はず。多分。
走り込んだ方が強くなる説は一旦置いといて、そういう事にしておきます。


とりあえず、ガキのように「なんで?なんでなん??」って聞きまくろうと思います。


皆様、めんどくさくなった時点でぶん殴って下さい。


夜露死苦。

2011年6月11日土曜日

Old Rookie

これまでやった事の無い初めての挑戦を仕掛ける時、僕はアホほどドキドキする。
78%くらいのビビリ感と、22%くらいのワクワク感を持って。

いわゆる「はじめてのチュウ」

なにもかもが新しい風景で、見た事無い奴らがキラキラしてて、
その輪っかにどうやって入るのか試行錯誤する自分がおる。

いわゆる「劣等感」

最近、そんなドキドキした挑戦は
「サッカー審判」「バスケ」「Sense of Wonder」「BIG BEACH」くらいかな。



めちゃめちゃ少ないんよなあ・・・
僕の傍にある好きな事や好きな人と一緒にいる空間はそれはそれは気持ち良くて。
この空間だけは僕も主役になってイキってる。



ヘタレやん。
「この場所なら負けないから。」
ってしょうもないプライドと積み上げてきた事に1人で酔ってるだけ。
オナニーしてる訳ですよ。


って事を最近ちょいと強く感じた。


なんでかって言うと、
初めての挑戦する時ってビビッてて、だからよく調べる、めちゃめちゃ考える、
で、それを素直に聞く事が出来る。

とてもとてもピュアで笑える自分がいる。

逆に経験がある事は、人の言う事を素直に聞けて無かった。
なんならねじ伏せたいと思う。

勿論どちらもすんごい大切なんでしょうが、
今の僕には新しい挑戦をし、感化され、とてもとてもピュアになる事が
ちょっと先の自分を面白く出来そうです。


30歳の自分が、今より結構な勢いでカッコよくなってる事を期待します。


目指せ「オールドルーキー






2011年5月5日木曜日

5/1,2 震災50日後の宮城県、福島県へ行きました。(2日目)

1日目夜は福島駅で宿泊。

経済的に貢献しようという言い訳のもと、地元で海産が旨いという居酒屋へ。
かつお、かんぱち、ほや貝。旨かった。

たまたま地元の人とも話が出来た。そして、とてもとても悲しい話を聞いた。

「友達が震災が起きてから東京に行ったら、自動車が福島ナンバーなだけで酷い事をされた。
だから、私は東京へは行きたいけど行けない。」

酷い事っていうのは、
・自動車を運転していると後ろからパッシングされ、抜かれ際に
「放射能浴びた福島の人間が東京に来るな。」と言われた。
・自動車を駐車し、出掛け、戻ってくると自動車の上にコンクリートが積まれていた。

そんな奴がいるらしい、都内に。
知っておかなきゃならない現実だった。



■③南相馬で受入れているボランティアに参加する。

2日目はボランティアに参加。南相馬市災害ボランティアセンターでは当日の受入れをしている。
この日は約150名ほどのボランティア志願者が集まっており、
15人前後のチームに振り分け後、チームリーダーを中心にして作業に入っていく流れであった。

ボランティア内容としては、大きく2点。
・家主さんの指示に従って家庭を復興。
・津波により河原に流れ着いたゴミを除去する。


しかし、現状、南相馬ではニーズはあるものの、諸々の事情で動けないようであった。
・当日受入れの為、現場を取仕切るリーダーがおらず管理が届かない為、現地に派遣出来ない。
⇒当日参加者の中で経験者を中心にリーダーを決める為、日によって異なる。
・家主が避難されている為、各家庭の復興作業に手を付けられない。

そんなこんだで午前中作業出来たのは150名のうち、70名程度。
残り80名は午後、仕事が降りて来る事を願って待機。僕らもその中の一組。

午後1時。結局残り80名のうち、30名分の依頼しか無かった為、
残りのメンバーは全員河原の掃除を手伝う事になった。
そうなると午前を含め河原にTOTAL80名の人間が集まる為、全体リーダーとチームリーダーを定めて作業エリアを分担する事に。

取り敢えずアグレッシブにいこうとチームリーダーをさせてもらった。
メンバーは30代~60代の11名。東京、大阪、様々な場所から参加していた。
鏡橋さん、野中さん夫妻、茅野さん、中村さん、鳴戸さん、田口さん、いっち~、よっちゃん、伊賀、僕。
チームリーダーといっても全体リーダーとチームメンバー間の伝書バトみたいなもん。

60代の鏡橋さんは1人で参加。3日間ボランティアをしに東京から来られたそう、宿泊は全て車中。
昔仕事で関わった福島県が好きで、力になりたくて、ボランティア参加されたそう。
力強かった。

現地は埃が多く、マスク・ゴーグル無しでは作業が出来ない状態。
河原に広がるゴミは藁、タイヤ、流木(めちゃめちゃデカイ)、毛布、などなど。

藁をガンジキで除去すると下からカニが出てきたり、何か動物の化石が綺麗に出てきたりと、
よく分からん状態やった。

15時30分には終わらなければいけない決まりなので時間は少なかったけど、
ただひたらすらにゴミを集めた気がする。


16時、ボランティアを終え、チームの皆さんと情報交換し、今後も連絡取り合う事を約束して、
一日を終えた。
ほんの少しのエリアやけど、綺麗になった河原を見て、とても気持ち良かった。
めちゃめちゃ大きな達成感があった。1日目の感情もあったから余計になんかな。












今回2日間の経験を通じて、大切な事は「じゃあ何すんの?」って事。

被害の規模がデカイからボランティア頑張ります。みたいなぺらぺらの正義感じゃ話にならん。
けど、今、これから、現地で、東京で、関西で出来る事をやっていこうと思う。

マキコと会った後、彼女からもらったメール
「昨日はありがとう。今日アルバムを見て、改めて、廣瀬の気持ちを受け取ったよ。
実際、被災地で活動するのは並大抵のことでは無いと思う。でも、廣瀬のような人達の力や
心は本当に必要!精一杯活動してきてください。現地で活動出来ない私の分もお願いね!
活動の様子、ぜひ聞かせてちょうだいね。」

「継続は力なり」だす。













2011年5月4日水曜日

5/1,2 震災50日後の宮城県、福島県へ行きました。(1日目)

3/11に起きた東北地方を中心に起きた東日本大震災、僕が小学校6年生の時に経験した阪神大震災を遥かに凌駕すると言われたその震災を自分の目で見たくて僕は宮城県、福島県へ向かった。

事前に同行メンバーで協議を重ね、各々が目的をハッキリさせた。
「自分の目で見たいけど、どの面下げて行けば良いか分からない。」なんて答えを無くした。

現地でする事は大きく3つ。

①仙台に住む先輩に会う。
②現地を自分の目で確かめる。
③南相馬で受入れているボランティアに参加する。

■①仙台に住む先輩に会う。
仙台市宮城野区に住む前職時代の先輩マキコ。結婚後、地元に戻り生活していた時に震災に遭った。3歳のそうた君、2011年2月に生まれたばかりのさつきちゃんと共に迎え入れてくれた。
マキコとの会話の中で特に心に残った事は3つ。
・現地の方は、震災直後、何が起きたのか数日間全く分からなかった。
⇒停電で映像が見られない為。
現時点でも避難場所で生活をされている方はTVが無いので津波の映像を知らない方が多い。
・3/11の震災に加え、4/7に起きた震度6の余震が彼女達の心に傷を負わせた。
⇒1か月経ったのに、生活もようやく戻り始めたのに、まだ続くの?・・・という不安。
・子供の頃、遊び、慣れ親しんだ沿岸部分に今は行く事が出来ない。

仙台の街はとても元気で、活力に満ちていた。
それは、震災を経験し、余震に不安を煽られ、それでも負けない。と前を向いている人が、
僕たちに元気だと感じさせせてくれているんだと思う。


■②現地を自分の目で確かめる。
仙台駅から仙台港へ向けて車で走る事20分。沿岸部分に近付いているなあと思った瞬間、
突然風景が一変した。仙台で感じなかった「地震」から「津波」の被害を目の当たりにした。
仙台港から、名取、仙台空港、亘理、相馬を見たが、津波の被害の大きさに言葉が出なかった。

ボロボロになった自動車の山、2階しか原型が無い建物。一帯に立ち込める臭い。
無造作、且、とても不自然に田んぼに横たわる自動車、漁船、流木、家。
そして住宅街だったはずの風景は、家の基盤しか残っていない。

調味料、食器、砂をかぶったアルバム、スノーボードの板。
立ち入った時に僕が他人の家に土足で足を入れてたんだと気付くほど原型は無かった。
それが360度、数kmに渡って続いていた。
亘理の防波堤では、南北に続くテトラポットが無くなった瞬間に防波堤が壊され、
5m後ろに飛ばされていた。海の波がどれほど強大だったであろうかが痛いほどよく分かった。

街によって復興へのスピードが異なる事も分かった。
メディアへの露出度、機能としての重要性により異なるようであった。
また、今、噂として挙げられている「近い将来に東北地方で大地震がもう一度来る。」
この噂が一部の方の復興へのモチベーションを下げていた。

地震後の二次災害が、阪神大震災と東日本大震災では大きく違った。
阪神大震災の「火災」が今回の「津波」にあたり、こいつがとんでもない被害を生んでいた。



でも、現地の方はやっぱり元気やった。コンビニの店員さんはとても親切で、
すれ違う土方の兄ちゃんはタバコふかして思いっきり笑っていた。



つまるところ、現地は少しずつかもしれへんけど復興に進んでいる。
1秒1秒誰かしらが復興へ向けて頑張っているからいつか復興する。
神戸の街がとても綺麗な風景のように、東北の綺麗な風景が見られる。

じゃあ、これを早めるには?一番小さな力は僕が働く事=ボランティア。


2日目のボランティアに対する意味を持つ事が出来た1日やった。